115系の車番前の「●」は横軽対策の印?碓氷峠を走った期間と運転方法を調べてみた

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この記事は、私がAIと対話して「なるほど!」と思った内容を公開したものです。

近年、日常的にAIツールで相談することが多いですが、非常に有益に感じる回答も多くなってきました。そこで気になった話題の質問と回答をブログ上に記録します。必要に応じて関連リンクや画像、Xの投稿なども添付しています。

使用AI:ChatGPT
使用バージョン:GPT-5.6 Sol 非常に高い

なお、AIの回答には未確認の情報や解釈が含まれる場合があります。

今回の質問

だにえるともや
だにえるともや

こちらの投稿ですが、115系は本当に横軽対策として列車の車両番号の前に黒丸がつけられていたのですか?
また、115系はどのくらい碓氷峠を走っていたのでしょうか?

AIの回答

はい。「横軽対策を施した車両は、車両番号の前に丸印を付けて識別していた」こと自体は事実です。 115系にも横軽対策車が存在しました。

ただし、少しだけ補足があります。リンク先のX投稿はX側の制限でこちらから直接本文を取得できなかったため、投稿そのものではなく、碓氷峠関係の資料と115系の記録を照合して確認しました。

車番の前の「●」は本当に横軽対策の印

1963年、横川~軽井沢間がアプト式からEF63を使う粘着運転へ切り替えられた際、急勾配を安全に通過するため、通過車両には台枠・連結器の強化、非常ブレーキ関係の対策など、いわゆる「横軽対策」が要求されました。

そして対策済み車両には、

●クモハ115-○○○
●モハ115-○○○

という具合に、側面の車番の直前に直径40mmの丸印を表示しました。対策をしていない車両は原則として碓氷峠を通過できませんでした。参考資料

この丸印は一般に「Gマーク」などと呼ばれます。

ただ、「黒丸」というのは少し注意が必要です。文献では記号として「●」と表現されますが、実車で必ず黒色だったわけではありません。車体上では車番と同じような白・淡色で表示された車両もあり、横軽対策車の写真では「白い丸」と表現されている例もあります。参考資料

ですので、

「車番の前に黒い丸を塗った」

というより、

「車番の前に丸印(●)を付け、横軽対策済みであることを示した」

と理解するのが正確です。

そして115系は、かなり本格的に碓氷峠を走っています

ここが意外と面白いところです。

115系は単に「たまに碓氷峠へ入った車両」ではありません。末期の横川~軽井沢間では、普通列車の主力が115系でした。

1994年の記録でも、横川~軽井沢間の普通列車は主に115系だったことが確認できます。参考資料

実際、1997年7月にも長野所属の115系3両編成が、EF63重連を連結して碓氷峠を下っている記録があります。参考資料

しかも115系は、189系「あさま」などとは運転方式が違いました。

車両横軽対策EF63との協調運転碓氷峠での編成
115系×最大8両程度
169系最大12両
189系最大12両
489系最大12両

115系にはEF63との協調運転装置がありません。したがって碓氷峠では115系自身の動力を基本的に使わず、EF63重連に列車を任せるような形で通過しました。非協調電車は安全上最大8両に制限されていました。参考資料

横川→軽井沢の上り勾配では、

115系 →→
+ 後ろからEF63×2が押す

という形。

逆に軽井沢→横川では、

EF63×2が先頭に立ち、115系を強力なブレーキで抑えながら下る

という運転です。

写真を見ると、「115系が普通に山を越えている」というより、115系3両をEF63二機が丸ごと面倒を見ているという、かなり特殊な光景です。

では115系は何年間くらい碓氷峠を走ったのか

ここは少々ややこしく、「115系が初めて定期列車として横軽を越えた日」までは、今回確認できた公開資料だけでは断定できません。

ただし、115系では1966年・1968年に横軽対策を施したモハ115+モハ114のユニットが14組製造されたことが確認できます。つまり1960年代後半には、115系にも最初から碓氷峠通過を想定した車両が存在していました。参考資料

一方、確実な実車写真としては1978年に横川~軽井沢間を走る115系が確認でき、参考資料 1990年代には完全に普通列車の主力になっています。

そして横川~軽井沢間が廃止されたのは1997年9月30日。廃止直前の1997年9月21日にも115系1000番台が横川駅で普通列車として走っている映像が残っています。参考映像

したがって、大まかに言えば、

115系と碓氷峠の関係は1960年代後半~1997年まで、約30年間に及ぶ

と考えてよいです。

しかも末期には「115系も碓氷峠を越えることがあった」程度ではなく、横川~軽井沢の普通列車といえば115系、というくらい日常的な存在だったわけです。参考資料

これは115系好きとしてはかなり熱い話で、湘南色や長野色の115系がEF63重連に押されて66.7‰を登る姿が普通に見られた時代が、つい1997年まで存在していたことになります。

そしてもう一つ面白いのが、横軽を走る115系は編成中の重い電動車を横川側に寄せるよう編成方向まで考慮されていたことです。参考資料
このあたりまで掘ると、「なぜ115系の向きが通常の信越本線と逆だったのか」という、さらに面白い話につながります。