この記事は、私がAIと対話して「なるほど!」と思った内容を公開したものです。
近年、日常的にAIツールで相談することが多いですが、非常に有益に感じる回答も多くなってきました。そこで気になった話題の質問と回答をブログ上に記録します。必要に応じて関連リンクや画像、Xの投稿なども添付しています。
使用AI:ChatGPT
使用バージョン:GPT-5.6 Sol 非常に高い
なお、AIの回答には未確認の情報や解釈が含まれる場合があります。
今回の質問
これ、秋山さんが死去されたとのことです。そしてコメントにある一緒に訓練受けた女性、この方ですが、確かバックアップ要員として現地に一緒に行った役回りだと記憶しており、秋山さんが搭乗できなくなった時に代わりに乗るため、という方だったと思っています。つまり、半年くらいの期間を実際に宇宙船に乗らないかもしれないのに訓練もしてという過酷な立場だった気がしますが、どうでしょうか。
AIの回答
はい、その記憶はほぼその通りです。そして調べてみると、菊地涼子さんの立場は想像していた以上に重いものでした。
添付画像のコメントに出ている女性は、当時TBSのカメラマン記者だった菊地涼子さんです。秋山豊寛さんとともに「TBS宇宙特派員」に選ばれ、最終的には秋山さんがメインクルー、菊地さんがサブクルー=バックアップクルーとなりました。JAXAも明確に「秋山豊寛氏のサブクルーとして訓練を受けた」と紹介しています。(edu.jaxa.jp)
そしてバックアップというのは、単なる「予備の人」ではありません。秋山さんが病気・事故など何らかの理由で飛べなくなれば、菊地さんがそのままソユーズに乗る役割です。JAXAもバックアップクルーについて「プライムクルーが飛行できなくなった場合に代わりに飛行するため、同様の訓練・試験を受ける」と説明しています。(iss.jaxa.jp)
しかも、「半年くらい」という記憶よりさらに長いです。菊地さん本人によれば、モスクワ郊外の「星の街」で訓練した期間は約1年2か月。1989年秋から1990年末近くまで、秋山さんとほぼ同じ期間を過ごしています。約半年間の厳しい医学検査を突破して2人に絞られた後、さらに1年2か月です。(edu.jaxa.jp)
訓練も「テレビ局員だから簡易版」というほど軽いものではありませんでした。ソユーズやミールの訓練、無重力訓練、緊急時対応、海上不時着時のサバイバル訓練などを一通りこなし、しかも基本的にロシア語。国家審査委員会から正式に宇宙飛行士としての資格認定も受けています。(mitsubishielectric.co.jp)
ですからダニエルさんがおっしゃる、
「実際には宇宙へ行かないかもしれないのに、長期間、本気で宇宙へ行くための訓練を続ける」
という理解はまさに正しいです。
しかも菊地さんの場合、心理的には普通のバックアップクルー以上に特殊だったと思います。現在のISSミッションなどでは、バックアップ経験が後の自分のフライトにつながる場合があります。ところがTBS宇宙プロジェクトは基本的に一度きりの企画です。秋山さんが無事に飛べば、1年以上積み重ねた訓練を自分が宇宙で使う機会は、そのままなくなる可能性が極めて高かったわけです。
そして、ここが添付画像のコメントについて少し注意したいところです。
「菊地さんが盲腸になったので、代わりに秋山さんが飛んだ」という意味なら、それは違います。
もともと秋山さんがメイン、菊地さんがバックアップでした。そのうえで、よりによって打ち上げ直前に菊地さん自身が急性虫垂炎になり、手術を受けています。そのため、秋山さんに何かあった際のバックアップさえ事実上失われてしまいました。菊地さんは術後間もない状態で打ち上げを地上から見送り、その後は管制センターから秋山さんの活動の解説を担当しました。本人によると、手術直後の体調であまりに忙しく、地上での仕事中に気を失ったこともあったそうです。(edu.jaxa.jp)
これを知ってからあの打ち上げ映像を見ると、菊地さんが地上からソユーズを見送っている場面の意味がかなり変わって見えますね。
自分も1年2か月、あの宇宙船に乗るために訓練してきた。自分用の訓練もすべて終え、宇宙飛行士の資格まで取った。でも乗るのは秋山さん。そして自分は直前に手術まで受けて、地上から見送る。
かなり複雑な感情だったはずです。
しかもミールからの中継で、一緒に訓練したソ連の宇宙飛行士が菊地さんの写真を宇宙で掲げて「リョーコも一緒に宇宙にいるよ」と伝えたというエピソードがあります。菊地さん本人が後年、「とてもうれしかった」と語っています。(edu.jaxa.jp)
これは今回の秋山さんの訃報を機に振り返ると、かなり胸に来る話だと思います。「日本人初の秋山豊寛」という歴史のすぐ隣に、宇宙へ行けるところまで全く同じ道を歩みながら、地上に残った菊地涼子さんがいた、ということですね。

