プロのピアニストでも本番で崩れる?演奏中断やミス連発の実例

AIとひそひそ話カテゴリー記事のアイキャッチ画像

この記事は、私がAIと対話して「なるほど!」と思った内容を公開したものです。

近年、日常的にAIツールで相談することが多いですが、非常に有益に感じる回答も多くなってきました。そこで気になった話題の質問と回答をブログ上に記録します。必要に応じて関連リンクや画像、Xの投稿なども添付しています。

使用AI:ChatGPT
使用バージョン:GPT-5.6 Sol 極高

なお、AIの回答には未確認の情報や解釈が含まれる場合があります。

今回の質問

だにえるともや
だにえるともや

ピアノのコンサートやあるいはオーケストラとの共演で弾いているピアニストを見ると、とてつもない集中力で全くミスせず綺麗に流暢にピアノを弾くなと感心してしまうわけですが。全くこちらが疲れて息切れしてしまうようにも思うぐらいです。

そこで気になったんですが、これまでピアノコンサートあるいはオーケストラでのピアノの共演でピアニストが非常に取り乱してミスも連発したり、とてもじゃないかプロのピアニストとしての演奏にはならなく、果てには途中で打ち切りになるぐらいまでひどい様相を呈したような公演はあったのでしょうか。

こんだけ毎日のように行われている演奏の中で全くそのような事例がないとしたら、それはそれで驚異的なことだと思います。

AIの回答

はい、実際にあります。小さな弾き間違いにとどまらず、演奏が崩れてオーケストラごと止まり、あるいは本人が舞台を去って残りの出番を断念した例まであります。「世界中でこれほど演奏されているのに、一度も起きないのだろうか」という疑問への答えは、明確に「起きています」です。(interlude.hk)

ただし、「取り乱して続行を断念した」「大きく崩れたが立て直した」「弾き通したものの著しく不調だった」は、区別する必要があります。ご質問に近い順にご紹介します。

1.演奏中に混乱し、舞台を去って戻らなかった例

アデリーナ・デ・ララ――20世紀初頭、バーミンガム

デ・ララは、クララ・シューマンに学び、英国などで演奏活動をしていたプロのピアニストでした。その彼女が、ランドン・ロナルド指揮でシューマンの《ピアノ協奏曲》を演奏した際、深刻な失敗を経験しています。音楽史研究機関の人名事典では、この公演を1905年6月としています。(sophie-drinker-institut.de)

自伝『Finale』の記述を紹介した記事によると、第3楽章で、あるフレーズを両手とも本来より1オクターブ低く弾いてしまいました。間違い自体は1小節でしたが、それをきっかけに本人が激しく混乱し、演奏を見失ったといいます。

指揮者はオーケストラを止め、彼女は舞台裏へ駆け込み、泣き崩れました。休憩後にもショパンの独奏曲を弾く予定がありましたが、舞台には戻らず、ホテルへ帰ってしまったそうです。これは、まさにご質問の「取り乱して、続きを演奏できなくなった」に近い例です。(interlude.hk)

しかも影響はその晩だけでは終わらず、その後27年間、オーケストラとの協奏曲演奏を避けたと記録されています。ただし、ピアニストを完全に引退したわけではなく、独奏の活動などは続けています。(sophie-drinker-institut.de)

この例では、最初から延々と弾けなかったのではありません。小さな逸脱から立て直せず、心理的な動揺が演奏継続を不可能にしてしまった、という経過です。

2.演奏が崩れ、オーケストラも停止した例

ユンディ・リ――2015年10月、ソウル

比較的新しく、実際に共演した楽団員の説明も残っている例です。ユンディ・リがシドニー交響楽団とショパンの《ピアノ協奏曲第1番》を演奏した際、第1楽章で何度かつまずき、曲のどこを弾いているのかを見失って、最終的に演奏が止まりました。(interlude.hk)

ここで重要なのは、単に「違う鍵盤をいくつか押した」程度ではなかったことです。

同楽団のコンサートマスター、アンドルー・ヘイヴァロンは、独奏者とオーケストラが音楽的に違う方向へ進んでしまったと説明しています。ユンディは合流しやすそうな箇所へ進もうとしましたが、想定した合流地点が違い、楽団側が先回りして合わせようとしても、うまくつながらなかったということです。(limelight-arts.com.au)

文章を二人で一緒に読み上げているとき、一人が別の段落へ飛び、戻ろうとしてさらに別の段落へ入ってしまった、と考えると近いでしょう。多少の読み間違いなら相手も合わせられますが、読んでいる場所そのものが違うと、続行が難しくなります。

ただし、この公演は、そのまま全面的に打ち切られたわけではありません。いったん止めて再開し、その後は演奏を終えています。したがって、「大きく崩れて中断した例」ではありますが、「最後まで演奏できなかった例」として紹介するのは不正確です。(interlude.hk)

なお、ヘイヴァロンによると、前日の大邱での同じ協奏曲の演奏は順調だったそうです。つまり、普段から弾けない人が無理に出演していた、という話ではありません。(limelight-arts.com.au)

3.巨匠でも、演奏の質が深刻に崩れた例

ウラディーミル・ホロヴィッツ――1983年の公演

ホロヴィッツにも、1983年のアメリカ・日本での公演で、暗譜の混乱や演奏の制御の衰えが問題になった時期があります。来日公演について、音楽評論家の吉田秀和が「ひびの入った骨董品」にたとえた批評が知られています。(en.wikipedia.org)

これは、「名人だから常に名人らしく弾けるわけではない」ことを示す例です。ただし、前の二例と同じように「突然パニックになり、公演を途中で打ち切った」と説明してはいけません。深刻な不調が演奏に現れたケースであり、舞台上での一時的な混乱とは分けて見る必要があります。(en.wikipedia.org)

「プロとして成立しないほどだったか」という表現には聴き手の評価も入りますが、少なくとも、世界的な巨匠の演奏でも「今日は少し調子が悪いですね」では済まないほど厳しい批評を受けることは、実際にあるわけです。

では、なぜ普段は「まったくミスしない」ように見えるのか

ここは、ご質問の最初の感想に関わる、もう一つ大切な点です。演奏家のすごさは、間違えないことだけでなく、間違えても音楽を止めずに戻れることにもあります。

例えば、ボリス・ギルトブルグは、2013年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで、モーツァルトの協奏曲を演奏中に場所を見失った経験を、インタビューで詳しく語っています。本人にとっては「永遠」のように感じたものの、実際には約2秒で、数小節先へ進み、オーケストラも合流しました。審査員からは後に、むしろ復帰の速さに感心したと言われたそうです。(vantagemusic.org)

つまり、客席から見える「流暢な演奏」の中にも、本人の内側では大事故寸前で、しかし外側にはほとんど表れない数秒間が含まれている可能性があります。この証言を読むと、プロの技術には危機から戻る技術も含まれる、と捉える方が実態に近そうです。

また、録音・映像で聴いている場合には、編集の存在も区別する必要があります。名ピアニストのアルトゥル・シュナーベルは、モーツァルトの協奏曲の本番中に演奏を止め、指揮者の楽譜を確認したことがありますが、発売された録音ではその中断が編集で除かれていました。米国の番組『Fresh Air』は、この件を取り上げ、後に未編集の音源も紹介しています。もちろん、すべてのライブ録音がそのように修正されている、という意味ではありません。(freshairarchive.org)

ですから、あの集中力に感心されるのはもっともですが、「何十分も、ただの一度も揺らがない超人的な精神力で弾いている」とだけ考えなくてよいと思います。

今回の事例を並べると、プロでも揺らぐ、忘れる、取り乱す。しかし、立て直して弾き終えることもあれば、それができない夜もある――という姿が見えてきます。完璧な機械が演奏しているのではなく、人間があの水準の音楽を維持している。その点にこそ、別の意味での驚異があるように思います。